【歴史散歩の会】 (←歴史散策の会より) 

  2000年夏に立ち上げた健康と趣味を兼ねた『歴史散策の会』は第50回にて終了いたしました。
  (香川先輩長い間お疲れ様でした)
  名称は『歴史散歩の会』となりましたが、「人に歴史あり、土地に変遷あり」ということで、従来どおり
  横浜市内・神奈川県内を中心に散歩していきます。よろしくお願いいたします。
  散歩してその地域の歴史を探り、現状を考える、足と頭を働かす楽しい半日を過しましょう
  年2〜3回のペースで実施していく予定です。(これまでは40〜60名の多人数が参加しています)

 ◎実施内容 @開催曜日・第4土曜 A出発・原則13時 B参加費 500円または1000円

 ◎世話人代表 笠間 裕 
     世話人  石黒 稔  内田弘治  安藤良男  井上 忠  福岡博通  中山昇一

  ※第9回以降の詳細は横浜稲門会のブログを参照して下さい。


≪第8歴史散歩の会「旧大山道・長津田宿を歴史散歩」実施報告≫
                横浜稲門会歴史散歩の会
                世話人(担当ガイド)石黒 稔
1.実施日と参加者
 平成27年10月31日月(土)、13:00 JR長津田駅出発。
 参加者は45人(会員 39人、会員の同伴家族 6人)だった。

 ○ 参加者氏名
  安藤良男、飯田光雄、石黒稔、石黒弘子、井上忠、榎本義子、大久保尚節、
  大隅乙郎、大野隆幸、大野恵、岡部滋、鏡原二郎、鏡原由紀子、笠間裕、
   笠間美和子、北見幸子、柏木洋子、上條勝弘、川口守男、久保田正、
  黒瀧英次、齋藤泰弘、佐藤和征、山藤卓、新莊多美子、新堀誠、
  竹末洋三、田澤隆夫、田中とき子、田中信夫、徳永美津男、飛永信雄、
  富山憲一、浜口紘、早川容史、半田邦久、日俊典、福岡博通、福田勝義、
  福田義朗、藤木立夫、間下昌彦、山角誠、山本壽枝、吉野治郎

2.散歩コースと概要
 ○ コース
  JR長津田駅前(13:00発) 〜 片町地蔵堂 〜 下宿石塔群 〜 (旧大山道) 〜
  上宿常夜灯 〜 大石神社 〜 御野立所跡 〜 長津田地区センター 〜 
  (旧々大山道) 〜 王子神社 〜 福泉寺(ぽっくり大師/ボケ封じ観音) 〜 
  (国道246号線) 〜 大林寺 〜 JR長津田駅(16:05頃着)

 ○ 概要
  江戸時代、大山道(矢倉沢往還)は、江戸の住民たちが多く大山参りに利用した信仰と
  物見遊山の道であり、江戸で消費される農産物や薪炭などを運ぶ脇往還でもあった。
  長津田は、この大山道と神奈川道が交差する交通の要衝で、小さいながらも多くの人が
  往来した宿場町であった。今もその名残の石塔や石仏、寺院や神社が見られる。
  この日は、今も残されている道標、常夜灯、石塔・石仏、江戸時代の領主岡野氏ゆかりの
  寺院や神社などを歩いてみた。

3.散歩の状況
  好天に恵まれ心地よい散歩日和だった。道幅は狭い上に意外と車が多く注意が必要だ。
  スタートして間もなく、片町地蔵堂へ着く。このお堂の前で、お堂に向って左側から大山道、
  右側から神奈川道が来て合流する。このため、ここにある地蔵さんは、道標になっている。
  今来た道を少し戻ると宿場跡となり、左側に下宿石塔群がある。この中には、常夜灯(横浜
  市指定地域文化財)、庚申塔、地神塔、馬頭観音、地蔵尊などが並んでいる。
  この大山道沿いの村々では俳句が盛んに行われており、農民俳人琴松の旧家が右側に
  見られる。ここ長津田村には幕末に渡辺崋山が来たという記録(游相日記)がある。

  さらに進むと長津田の鎮守大石神社につく。この入口の鳥居の脇に、上宿の常夜灯と巨大な
  地神塔がある。ここまでの坂道は女坂というが、相当きつい。大石神社の祭神は在原業平の
  化身とされる大石である。本日歩いた中ではこのあたりが一番高い所である。

  神社裏にある地区センターで10分ほどトイレ休憩。

  地区センターを出ると、しばらくは旧大山道よりさらに古い道(旧々大山道)を旧大山道まで
  歩く。いかにも古臭いみちである。交差する旧大山道で旧々大山道は消える。
  旧大山道を横断して民家の間の小道を通って王子神社へと向かう。この神社も長津田の
  鎮守で、初代領主の岡野房恒が紀州熊野から若一王子(にゃくいちおうじ)を勧請し、建立
  したものという。この神社の拝殿前で参加者全員勢揃いし、写真を撮った。シャッターは神社
  宮司さんにお願いした。

  ここを出ると、広い国道246号線に出る。広い道を歩道橋で渡ると、右側に福泉寺がある。
  つぎに訪ねるところである。この寺も初代領主岡野房恒の創建と伝える。この寺にはぽっくり、
  ピンピンころりの「ぽっくり大師」と、ボケ防止の「ボケ封じ観音」が祀られている。そのためか
  境内には接待所があって、お参りのひとたちにお茶や菓子の接待が行われいる。我々もその
  御相伴に預かった。

  再び国道246号線に戻り、東京方向へと歩く。次の信号を左へと渡り、最後の訪問先大林寺
  へと向かう。この寺は、初代領主岡野房恒の父江雪が中興、岡野家の菩提寺となった。
  現在の伽藍は、平成20年に完成したばかり。山門入口には一対の金剛力士がおり、その
  裏側には、四天王が2体づつ左右に収まっている。本堂の左奥には、五百羅漢像・座禅堂が
  ある。お寺のお勧めとご案内でこの中を見せていただいた。
  墓域には旗本岡野家の墓所があり、横浜市の地域史跡に登録されている。近年有名な
  マジシャンだった初代引田天功の墓などがある。なお、引田家は長津田の旧家で天功は
  その家(傍系)の出身であった。
  寺を囲む土塀の外側に、大きな延命地蔵と、その脇には800年ほど前の板碑がある。これ
  を見ながら長津田駅へと向かった。
 
  16:05、ほぼ予定通りこの日の歴史散歩は終了した。
                                            以 上 (文責:石黒 稔)

  ※当日参加された福田勝義さんのブログに詳細に紹介されております。
    (興味のある方は見てあげて下さい)




≪第7回歴史散歩の会
「旧東海道大磯の宿と明治からの政財界人の別邸跡を巡る」実施報告≫
                横浜稲門会歴史散歩の会
                世話人(担当ガイド)石黒 稔
1.実施日と参加者
 平成27年5月24日(日) 13:10 JR大磯駅出発。
 同日16:30大磯駅で解散。
 参加者は45人(会員38人、会員の同伴家族7人)だった。

 ○ 参加者氏名
  安藤良男、安藤正子、飯田光雄、石黒 稔、石黒弘子、稲葉昌史、井上 忠、今井信夫、
  今井斗志、内田弘治、榎 正之、大隅乙郎、大野隆幸、大野 恵、岡安宏眞、鏡原二郎、
  笠間 裕、笠間美和子、加藤博武、上條勝弘、菊地一郎、北村友雄、久保田 正、
  黒瀧英次、齋藤泰弘、清水 晃、清水よしえ、清水国雄、白鳥 高、新莊多美子、新堀 誠、
  鈴木一彦、竹末洋三、富山憲一、花井正徳、半田邦久、東島正樹、日俊典、日喜代子、
  深野宏之、福田義朗、山口久美子、山角 誠、山本壽枝、若林和茂

2.散歩コースと概要
 ○ コース  
   JR 大磯駅前(13:10発) 〜 元エリザベス・サンダースホーム 〜 旧木下建平邸跡
    〜 延台寺 〜 地福寺 〜 大磯宿本陣跡の碑 〜 新島襄終焉の地の碑 〜
   湘南発祥の地の碑 〜 鴫立庵 〜 太平洋自転車道 〜 東海道松並木 〜 
   旧陸奥宗光・大隈重信邸跡 〜 旧伊藤博文邸(滄浪閣)跡 〜 統監道 〜 島崎藤村邸 
    〜 澤田美喜記念館前 〜 大磯駅 (16:30解散)
 ○ 概要
   江戸時代、大磯は東海道で江戸から8つ目の宿場町だった。現在旧東海道筋には松並木
   の一部を見ることができる。
   明治になってから、政財界人の別邸が大磯町内のあちこちに建てられ、その一部が今も残
   っている。特に明治末には、伊藤博文や大隈重信ら7人もの宰相(総理大臣)の別邸があっ
   ったという。これは大磯という地が天候穏やかな地で、鉄道が開通して東京から簡単に行ける
   ようになったためであろう。また、東京では自分の家を持たなかった島崎藤村は、この大磯を
   ことのほか気に入りここに自分の家を建てたという。
   今回は大磯のボランティアガイドに案内を依頼し、大磯の宿場跡と別邸跡をたどって歩いた。

3.散歩の状況
   本番前日まで、この日の天気予報は一日中雨ということだったので、それを覚悟した。
  ところが、一夜あけるとすばらしい好天であった。
  あらかじめお願いしていた大磯のボランティアガイド協会からは5人のガイドの方が来てく
  ださった。なんとそのメンバーは全員が女性だった。
  集合・スタートの大磯駅前は、45人もの人が集まるには少々狭い所なので、駅前ターミナ
  ルの正面にあるエリザベス・サンダースホーム入口の広場に集合場所を移し、ここから散歩
  はスタートした。
   駅前からすぐ見えるのが旧木下建平邸。中には入らなかったが、国の有形文化財である。
  国道1号線に出て「延台寺」に立ち寄った。この寺には曽我十郎の愛人虎御前にまつわる
  伝説の「虎御石」があり、この日はこの石の御開帳があるということで、急遽立ち寄ったが、
  開帳時間前で見ることはできなかった。
   つづいて「地福寺」に行く。この寺の本堂左前に、島崎藤村夫妻の墓がある。
  このあたりの国道は旧東海道大磯宿の中心部で本陣が3軒並んでいる。
  国道を先に進み、同志社大学の創設者「新島襄」終焉の地の碑を訪ねる。新島襄は明治
  23年にこの地で大学設立募金運動中に倒れ、亡くなった。この碑がある一画は同志社大学
  が買い取ったということである。  
  この碑を後にするとすぐ鴫立庵であるが、この少し手前に「鴫立沢」の標石があり、この裏面
  に「著盡湘南清絶地」と刻まれ、湘南発祥の地を示している。
  鴫立沢の地名は西行の歌 「こころなき 身にもあわれは しられけり 鴫立沢の 秋の夕
  暮」で知られている。 鴫立庵は元禄8年に建てられ、俳諧道場として現在に至っている。
   国道から離れ海岸に出ると、太平洋岸自転車道に出る。この日は好天で、海の眺めも
  すばらしく、伊豆大島もよく見えた。左側には岩礁があり、ここには天然記念物の「あおば
  と」が飛来するという。この鳩はこの岩礁で塩分を補給しているのだそうである。
  再び国道に戻る。ここには江戸時代からの「松並木」が残っている。
  さらに少し歩くと、左側に古河電工大磯荘がある。これは「陸奥宗光」とわれらが母校早稲
  田大学の創設者「大隈重信」の別邸跡である。中には入れないが外から昔の建物を見ること
  ができる。
   つづいて、旧佐賀藩主「鍋島直大」邸跡と、日本の初代総理「伊藤博文」の別邸「滄浪
  閣」がつづく。
  ここで東海道を渡り、Uターンし、途中から統監道に入る。統監道とは伊藤博文が朝鮮統監
  となった(明治38年)のを記念して町民の発意で造られた大磯駅までの道。
  この道で線路際まで行き、すぐに小道に入ると、島崎藤村宅に到着する。小さな家で、門
  も狭く、大勢の人が一度に入るには苦労する。それでも全員が中を見て大磯駅に向かった。
  出発時に集合したエリザベスサンダースホーム前の広場に再集合し、5人の女性ガイドに、
  お礼の拍手をして解散した。  どうもありがとうございました。
                                     以 上
                                   (文責:石黒 稔)



≪第6回歴史散歩の会「横浜旧居留地に西洋館を訪ねる」実施報告≫
                横浜稲門会歴史散歩の会
                世話人(担当ガイド)石黒 稔

1.実施日と参加者
 平成27年 2月28日(土) 13:00 JR 石川町駅元町口出発。
 同日16:10フランス山下のフランス領事館跡の広場で解散。
 参加者は40人(会員32人、会員の同伴家族8人)だった。
 ○ 参加者氏名
   秋山眞理、浅賀達也、安藤良男、飯田光雄、石黒稔、石黒弘子、井上忠、
   今井信夫、今井斗志、榎正之、榎本義子、大野隆幸、大野恵、笠間裕、
   笠間美和子、加藤博武、上條勝弘、川口守男、北村友雄、桑野耕三、
   小松久径、清水晃、清水よしえ、新莊多美子、須川弘之、杉島和三郎、
   鈴木一彦、竹末洋三、徳永美津男、富山憲一、花井正徳、東島正樹、
   東島順子、佐藤実花、松島和夫、山角誠、吉岡富士夫、吉岡美智子、
   米津昭、若林和茂

2.散歩コースと概要
 ○ コース
   JR 石川町駅前(13:00発) 〜 イタリア山庭園 (ブラフ18番館・外交官の家) 〜
   山手本通り 〜 カトリック山手教会 〜 フェリス女学院1号館 〜 べーリックホール
   〜 山手80番館遺構 〜 エリスマン邸 〜 山手234番館 〜 山手外国人墓地 〜
   ゲーテ座跡 〜 横浜市イギリス館 〜 山手111番館 〜 港の見える丘公園 〜
   フランス山下 (16:10着・解散)

 ○ 概要
   慶応3年(1867)、外国人たちの強い要望により、山手の丘陵は外国人居留地となり、
   外国人たちは「山手居留地」を生活の場に、「横浜居留地」を仕事の場とした。
   そして山手居留地には外国人の住居や教会、学校、病院、劇場などの西洋館が
   あちこちに建てられた。
   大正12年(1923)9月1日、関東でM7.9の大地震(関東大震災)が発生した。このため
   耐震構造が施されていなかった山手の西洋館は全て倒壊焼失してしまった。いま山手に
   ある西洋館は、すべて震災後に建築されたか、移築されたものばかりである。
   それでも山手にはエキゾチックや雰囲気が漂っている。この日は横浜市が管理する7つの
   西洋館を1つ1つ訪ねて歩いた。しかし、内2つは改修中で中へ入ることはできなかった。

3.散歩の状況
   好天だが、風がやや冷たい一日だった。コースはスタート直後こそ急な登り坂だが、
   それをクリアすると、基本的にはフラットなコースとなる。参加者全員気持ちよく歩いて
   いただけたと思う。
   集合・スタートの石川町駅元町口は40人もの人が集まるには少々狭い所だ。その上この
   日は元町のチャーミングセールで大勢の人がこの駅を利用するため、改札口前は大混雑が
   予想された。そのため駅前の中村川に架かる橋の上を集合場所とした。
   ここから山手の丘を見上げると、訪問予定の西洋館のひとつ「外交官の家」が見える。まず
   そこでここまで上ってもらうことを覚悟してもらった。
   ここを出るとすぐ石川町駅の鉄道ガード下を抜け、大丸谷坂にかかる。この坂を登りきると
   イタリア山庭園に到着。ここまでくると、庭園の花壇もきれいだが、山手の丘陵、港方面や横
   浜市街地方面、そしてやや遠いが大山と丹沢山塊などの眺望がすばらしい。これらの眺
   望を楽しんだ後、スタート地点から見上げた「外交官の家」に入り、10分ほど自由見学。
    (同じ庭園内にあるブラフ18番館は改修中で素通り)
   イタリア山庭園を出て、山手本通りを港の方に向けて歩くと、間もなく山手カソリック教会に
   につく。この教会は文久2年(1862)に、横浜開港後初めて建てられた横浜天主堂が、その
   前身で、明治39年(1906)に山手に移築された。関東大震災で倒壊したが、後に再建され
   戦災にも遭わず、現在に至っている。
   この教会を背に参加者全員の集合写真を撮った。

   この教会から少し歩くと、フェリス女学院がある。この女学校は、婦人宣教師キダーによって
   明治3年(1870)に設立された。この後、雙葉、共立、捜真、などの学校が設立されたが、
   みな外国系ばかりだった。
   元町公園までいくと、べーリックホール、エリスマン邸、山手234番館、山手資料館などいく
   つかの西洋館が続く。このあたりまで来ると、さすがに観光客が多く見られる。
   べーリックホールは山手の外国人住宅で最大級のもので、ぜひ見学したかったが、改修中
   で見ることはできなかった。
   エリスマン邸とその付近で10分間ほど自由見学と休憩をとった。
   このエリスマン邸の裏側に関東大震災で倒壊した外国人住宅の遺構がある。昭和53年
   に発見されたものだが、地震のエネルギー、強さがよくわかる。

   そろそろこの散歩も終わりに近づく所に、「港の見える丘公園」がある。この公園の脇に
   横浜市イギリス館と山手111番館がある。この両西洋館は下から眺めた方がいい。
   下から眺めながら同公園に向った。
   この公園を横切り、フランス山に向っていたところ、参加者の1人が「東京スカイツリーが
   見える」といってきた。この呼びかけで参加者の全員が展望台に移動した。確かに、
   うっすらとではあるが、見えた。天気がよく湿度が低いためであろう。よかったと思う。
   この後、フランス山を下り、フランス領事館跡の広場で再集合し、全員を確認、解散した。
                                                以 上
                                          (文責 : 石黒  稔)




≪第5回歴史散歩の会「保土ヶ谷宿歴史散歩」実施報告≫
                横浜稲門会歴史散歩の会
                世話人(担当ガイド)石黒 稔

1.実施日と参加者
 平成26年10月25日(土) 13:00 相鉄線・天王町駅出発。
 参加者は45人(会員39人、会員の同伴家族6人)だった。
 ○参加者氏名
   秋山眞理、浅賀達也、浅沼光孝、安藤良男、飯田光雄、石倉大市郎、河原タカ、
   石黒 稔、井上 忠、内田弘治、榎 正之、榎本義子、大須賀三雄、大隅乙郎、
   大野隆幸、大野 恵、岡部 滋、笠間 裕、笠間美和子、久保田 正、倉林 寛、
   小松久径、山藤 卓、清水 晃、清水よしえ、清水国雄、標 俊彦、竹末洋三、
   舘野美穂、中澤卓司、花井正徳、浜口 紘、半田邦久、東島正樹、佐藤実花、
   日俊典、福田義朗、藤木立夫、本荘正治、間下昌彦、山角 誠、山本壽枝、
   米津 昭、米津恵美子、若林和茂


2.散歩コースと概要
 ○コース
  相鉄線・天王町駅前(13:00出発)〜旧帷子橋跡〜橘樹(たちばな)神社〜
  古町橋跡〜神明宮〜(古東海道)〜大蓮寺〜中の橋跡〜(旧東海道)〜
  問屋場・高札場跡〜金澤鎌倉道の道標〜苅部本陣跡〜福聚寺〜
  JR・保土ヶ谷駅(15:40頃着)
 ○概要
  江戸時代、十返舎一九に、東海道膝栗毛で「お泊りは よいほどがやと
  とっつかまえて・・・・・・・」といわせた保土ヶ谷宿を、広重の絵
  「東海道五十三次」に描かれた「帷子橋」の跡からその周辺部を一巡する。
  この宿場には時代の差はあるが、鎌倉道、金澤道、古東海道、旧東海道、
  相州道、保土ヶ谷道、水道道、そして国道1号線などいくつかの古道、新道
  流れ込んでいる。
  保土ヶ谷宿は、神奈川宿からわずか5kmしか離れていない近いところに、
  神奈川宿と同じ慶長6年(1601)に設けられた。しかしこの当時の保土ヶ谷宿は
  2つの町に分かれており、この2つの町が合体し1つの町となったのは、
  新道(旧東海道)が造られた慶安元年(1648)のことであった。
  この合体した町は「新町」となり、以前の2つの町は、それぞれ「古町」、
  「元町」と呼ばれるようになった。この日は、新道(旧東海道)から古町(古東海道)を
  経て、新町に入り本陣跡から国道1号線を通り保土ヶ谷駅へと向った。

3.散歩の状況
  好天に恵まれ心地よい散歩日和だった。道幅は狭い上に意外と車が多く注意が
  必要だった。コース全般は基本的にはフラットであるが、お寺の門前には
  階段があって少々辛い方もおられ、階段の下で待っていた方もおられた。

  スタートはかって帷子川が流れ、東海道の帷子橋が架かっていたところ、
  昭和40年ごろに川筋が変えられ、川も橋もなくなって小さな公園となっている。
  ここには保土ヶ谷宿全般の地図があり、一番初めにその地図をみていただき、
  予備知識を得てもらった。ここを出るとすぐ天王町駅改札口前の鉄道ガード下を通る。
  ここが江戸時代の官道(国道)だったとは思えない道である。
  最初に訪れた所が橘樹神社。ここの境内ではフリーマーケットのようなものが
  開催されており、とても43人もの人をゆっくり案内できる状態ではない。
  すぐに脇の道へと移動。この道は、明治20年に日本で最初に造られた上水道
  (津久井〜野毛山)の鉄管が、この地下を通っている。水道道という。
  つぎは、古東海道を経て神明社に向う。ここは平安時代中期に伊勢神宮に
  寄進された御厨に、鎌倉時代に創建された伊勢神宮の下宮。このお宮の前で
  参加者全員の集合写真を撮った。さらに古東海道を歩き、日蓮宗の大蓮寺を訪ねる。
  ここには江戸時代初めに家康の側室お満の方(水戸黄門の祖母)が植えた柘榴の木の
  伝承がある。古東海道はこの寺の門前に沿って山側に入っていったと伝えられているが、
  詳細はわからない。
  大蓮寺を出て旧東海道に入る。しばらく歩くと保土ヶ谷宿の中心部、現在は
  保土ヶ谷駅前の商店街、となる。ここにはこれまで前の宿場から荷物を運んできた
  人足や馬が交替する問屋場や、幕府が定めた法度・お定めを記した板札を掲げる高札場、
  などの跡がある。この道は、道幅が狭い商店街で、買い物客も多く、一方通行ながら
  多くの車が通るため、宿場としては非常に大事なポイントがあるのだが、40人もの人が
  歩いたり、集まってガイドの説明をゆっくりすることもむずかしく苦労した。
  保土ヶ谷宿から弘明寺・金澤・鎌倉などに向う道がある。この曲がり角には江戸時代から
  の道しるべが4本あり、横浜市の地域有形民俗文化財となっている。ここ、道標前の道も
  狭く、常に車が通るため、近寄れず、すこし離れたところにある駐車場からの説明を余儀なく
  された。本当に申し分けないと思った。
  旧東海道をさらに進むと直角に右折する。この角地に苅部(軽部)本陣があった。ここには
  多くの本陣時代の古文書などが保管されているそうであるが、現にご当主が住んでおられ、
  中に入ることはできない。また建物も現代のもので、地方の宿場に残る藁葺屋根の大きな
  ものをイメージすることはできない。
  ここからは国道1号線を通って保土ヶ谷駅へと戻り、解散した。
  参加者全員、異常なくコースを完歩。
                                以 上
       神明社前にて(浅沼氏撮影)



第4回歴史散歩の会「武家の古都・鎌倉 − 武家の守護神をたどる」実施報告
                           横浜稲門会歴史散歩の会
                                世話人(担当ガイド) 石黒 稔

1.実施日と参加者
  平成26年5月31日(土) 13:00 JR鎌倉駅出発。
               16:00 鎌倉宮にて解散。
  参加者は56人(会員45人、会員の同伴家族11人)

 ≪参加者氏名≫
  秋元謙治、秋山眞理、浅賀達也、浅沼光孝、安藤良男、安藤正子、飯田光雄、
  石倉大市郎、河原たか、石黒稔、石黒弘子、井上忠、今井信夫、榎正之、
  榎本義子、大野隆幸、大野恵、岡部滋、岡安宏眞、鏡原二郎、久保田正、
  窪田久乃、桑野耕三、小林隆司、小林靖子、小松久径、小松敬子、佐藤和征、
  山藤卓、山藤恵美子、清水晃、清水よしえ、標俊彦、鈴木一彦、須永信一、
  須永茂代、田中とき子、土屋りえ子、千代康、遠井信久、富山憲一、成毛文之、
  花井正徳、浜口紘、半田邦久、日俊典、日喜代子、福田あつ子、藤木立夫、
  本荘正治、間下昌彦、山角誠、吉岡富士夫、吉野治郎、若林和茂、若林和子

2.散歩コースと概要
  ≪コース≫
   JR鎌倉駅東口(13:00出発)〜若宮大路・檀葛〜鶴岡八幡宮〜
   大蔵(倉)幕府跡〜法華堂跡(源頼朝・北條義時墓)〜荏柄天神〜
   永福寺跡〜大塔宮(16:00解散)

  ≪概要≫
   鎌倉は武家政権発祥の地であり、その独自の王権を表す都市構造が残されている。
   南に海、東・北・西に山を背負った地形をうまく使って、北側の山の麓、
   大蔵(倉)に御所を置き、武家による政権を樹立した。
   大蔵御所は、東の荏柄天神と西の鶴岡八幡宮に護られる形で造営され、王権を
   正当化した。幕府の体制が整うに従い、政権創設者の供養の場となる法華堂(墓所)を
   整備・建立し、さらに鬼門の守護として、永福寺を建て、怨霊慰撫の場とした。
   今回はこの内、鶴岡八幡宮、法華堂跡、荏柄天神、永福寺跡を巡った。

3.散歩の状況
  今回は当会としては「散策の会」の時を含めて、はじめて散歩先の地元ガイドに
 案内をお願いし歩いた。ガイドの方が3人いたので、参加者56人を3班にわけ
 18人〜19人が1人 のガイドについた。そのため参加者全員が1人のガイドに
 つくのと違って非常に効率的でスムースに行動でき、予定通りの時間ですべてが
 終わった。また、ガイドも観光地鎌倉で 経験を積んだベテランで大変よかった。
 参加者もすぐ近くで説明が聞けてよかったのではないかと思う。
 催行予定日の数日前から天候が変わり気温25度を超える暑さとなった。この日も
 暑かった。参加者には熱中症には十分注意するよう促し、予定通り出発した。
  駅を出てすぐ壇葛に入る。この道はもともとは海岸から八幡宮まで通じていた道だが、
 いまはその半分ほどとなっている。そしてこの道幅は、八幡宮へ近づくほど狭くなって
 いくようになって、八幡宮へと入っていく。このことは説明がないと気がつかない。
  この日は土曜日。八幡宮までは、修学旅行生、外国人旅行者、ツアー客、家族連れ、
 など観光客でいっぱいだった。幸いにしてこの雑踏の中で迷子になった参加者はいなかった。
 その後、頼朝および北條義時の墓、大蔵(倉)幕府御所跡などを経て、永福寺へと向う。
  八幡宮を出ると人通りはぱたっと減る。ほとんどわれわれ3グループだけがまとまって
 歩いているような感じであった。永福寺は、「ようふくじ」と読む。頼朝が、義経や平泉の
 藤原泰衡など平泉の戦で死んだ多くの怨霊を供養するため建立したもので、中尊寺の伽藍を
 まねて建てられたという。室町時代に火災で焼失した跡、復活されなかった。近年の発掘
 調査で各種遺構が出土し、少しづつ復元中とのことである。
  この後、鎌倉宮へ戻り、解散した。途中帰ったが2人いたが、他は全員全コースを完歩
 した。暑い中お疲れ様でした。
   
 今回は八幡宮を除き、地元のガイドがなければ、行けそうもないところを歩くことができた。
 鎌倉のガイドの方、ご案内どうもありがとうございました。

 (お茶などの飲料水は、事前に駅のコンビニに手配し出発時に、配付した。)

                                 (以 上)








第3回歴史散歩の会「大塚・歳勝土遺跡と茅ヶ崎城址を歩く」実施報告

                           横浜稲門会歴史散歩の会
                                世話人(担当ガイド) 石黒 稔

1.実施日と参加者
  平成26年 2月22日(土) 13:00 市営地下鉄 センター北駅出発。
  参加者は50人(会員43人、会員の同伴家族7人)だった。
  ≪参加者氏名≫
   浅賀達也、浅沼光孝、安藤良男夫妻、飯田光雄、石黒 稔夫妻、磯野鎮雄、
   井上 忠、今井信夫、内田弘治、榎 正之、榎本義子、大久保尚節、
   大隅乙郎、岡安宏眞、笠間 裕夫妻、加藤博武、菊地一郎、久保田 正、
   窪田久乃、桑野耕三、小板橋泰宏夫妻、坂本 確夫妻、佐藤和征、
   山藤 卓夫妻、竹末洋三、田澤隆夫、遠井信久、徳永美津男、成毛文之、
   半田邦久、東島正樹、日俊典夫妻、深野宏之、福田義朗、藤木立夫、
   伏島利郎、間下昌彦、松島和夫、山口久美子、山角 誠、吉野治郎、
   米津 昭、若林和茂

2.散歩コースと概要
 ≪コース≫
  地下鉄 センター北駅(13:00出発)〜都筑民家園〜
   大塚・歳勝土遺跡〜茅ヶ崎城址〜地下鉄 センター南駅(15:30解散)
 ≪概要≫
  この2つの史跡は、都筑区の早渕川を挟む南と北の丘の上にそれぞれある。
  大塚・歳勝土遺跡は港北ニュータウン開発で発見、発掘された弥生時代の住居と
  墓地の跡で国の史跡に指定された貴重な遺跡である。
  茅ヶ崎城址は、平成の本格的発掘調査で、その全貌が見え始めた城跡である。
  中世の城としては、堀、土塁、郭など大変残りのよいことで知られる。
  都筑区に残るこの2つの遺跡、城跡は一見の価値がある。

3.散歩の状況
  予定日の1週間前の大雪で一時延期も考えたが、現地調査(電話)で散歩可能と
  判断して実施した。この日は若干風が冷たかったが、大勢の方の参加を得、快く歩けた。
  遺跡、城跡内や途中の道に少し雪が残っていたが、見学や歩行には全く支障はなかった。

  民家園の古民家の裏から坂を登ると、広々とした平地に出る。この右側が大塚遺跡、
  左側が歳勝土遺跡である。復元・保存状態もよく、往時の状況がよくわかる。復元された
  住宅や環濠もゆっくり見学できた。この両者は一体となって国の史跡に指定されている。
  歳勝土遺跡を通り抜け、坂道をくだると、早渕川が静かに流れている。水面を覗くと大きな
  鯉がたくさん泳いでいた。しばらくして再び坂道を登ると、茅ヶ崎城址の入口である。
  茅ヶ崎城址は築城時期や城主もはっきりわからないが、郭や土塁がみごとに残っている。
  江戸時代以降400年以上もの間、よく破壊されずに残されたものと思う。参加者の中には、
  郭や土塁を歩き回っていた方もいた。
  この日のコースは、訪問先が3ヶ所と少なく、ゆっくりと歩き、見学できたと思う。
  (お茶などの飲料は、事前に駅コンコース内のコンビニに手配し、出発時に配付した。)
                                                    (以 上)





第2回歴史散歩の会「生麦事件が起きた旧東海道を歩く」実施報告
                           横浜稲門会歴史散歩の会
                           世話人(担当ガイド) 石黒 稔

 平成25年11月30日(土)、13:00 京急鶴見駅を出発した。
 参加者は50人(会員43人、会員の同伴家族7人)だった。
   ○ 参加者氏名
     秋元謙治、浅沼光孝、安藤良男夫妻、飯田光雄、石倉大市郎、石黒稔夫妻、
     磯野鎮雄、井上忠、今井信夫、内田弘治、榎正之、榎本義子、大隅乙郎、
     大野隆幸夫妻、岡部滋、岡安宏眞、笠間裕夫妻、狩野幸繁、川口守男、
     菊地一郎、北村友雄、久保田正、小板橋泰宏夫妻、山藤卓夫妻、高原孝夫妻、
     竹末洋三、田澤隆夫、田中とき子、富山憲一、成毛文之、花井正徳、半田邦久、
     日俊典、福田義朗、本荘正治、間下昌彦、三ツ堀哲宗、矢島健生、山本壽枝、
     横山順子、吉岡富士夫、吉野治郎、若林和茂
 今回の散歩のテーマは、
   @ 鶴見村から生麦村の旧東海道を歩き、旅人の休息所(立場)として多くの茶店が
      並び、それぞれが趣向を凝らして客寄せをしていた情景を思い浮かべて見ること。
   A そして、幕末に生麦村の街道で発生し、のちに日本を大きく変えることとなった
      生麦事件の現場跡と記念碑を訪ね、その重要性をあらためて考えてみること。
   B 横浜で生まれた日本初のビール会社の今の工場を見学し、そこで作られたビール
      の試飲を楽しむこと。
  にあった。

 散歩コースは、
   京急鶴見駅 〜 旧東海道 〜 サボテン茶屋跡 〜 黒熊茶屋跡 〜 鶴見線国道駅
   〜 鶴見川 〜 生麦魚河岸 〜 白熊茶屋跡 〜 正泉寺 〜 道念稲荷神社 〜
   生麦事件現場跡(第一現場) 〜 桐屋茶屋跡(第二現場) 〜 生麦事件記念碑 〜 
   キリンビアビレッジ 〜 (工場見学後解散)
 
 この日は快晴でさわやかに歩くことができた。ただスタート直後の京急鶴見駅付近は雑踏で、
 参加者全員が通り抜けるのに少し時間がかかってしまった。
 鶴見線国道駅付近から鶴見川堤防上を歩いたが、そこからの展望は、かっての汚い川と
 工場地帯のイメージを吹き飛ばすすばらしいものだった。
 正泉寺では、事務局が事前にこの日の訪問を伝えておいたせいか、和尚さんが出迎えてくれ、
 寺の説明をしてくれてありがたかった。
 このあたりから本日のメインテーマである生麦事件の現場跡が続くので、本来ならば事件に
 関する詳しい話をすべきところだったが、ここに来るまでに時間がかかってしまい、最後の
 キリンビールの工場見学の予約時間に、間に合わなくなる心配もあって、それができなくなって
 しまったのは残念だった。
                                                 (以 上)

         正泉寺にて


     キリンビール横浜工場見学した後に皆で乾杯!



第1回歴史散歩の会「幕末の神奈川宿」実施報告
                   横浜稲門会歴史散歩の会
                   世話人(担当ガイド) 石黒 稔

 平成25年7月27日(土)、13:10 笠間世話人代表のあいさつ後、JR東神奈川駅を出発した。
 参加者は48人(会員43人、会員の同伴家族5人)だった。
   ○ 参加者氏名
     安藤良男、飯田光雄、石黒稔夫妻、磯野鎮雄、井上忠、今井信夫、
     内田弘治、榎正之、大須賀三雄、大野隆幸夫妻、小澤喜一郎、岡部滋、
     岡安宏眞、笠間裕夫妻、加藤博武、川口守男、久保田正、窪田久乃、
     小板橋泰宏、佐藤和征夫妻、山藤卓夫妻、清水国雄、標俊彦、
     田中とき子、千代康、遠井信久、徳永美津男、中津海光夫、成毛文之、
     花井正徳、半田邦久、日俊典、福田義朗、藤木立夫、伏島利郎、
     本荘正治、間下昌彦、松島和夫、三ツ堀哲宗、山角誠、横山順子、
     吉岡佳子、吉野治郎
 今回の散歩のテーマは、
   @ ペリーとの開国交渉で幕府の最前線基地となった神奈川宿
   A 横浜開港のとき、10の寺が外国領事館や外国人宿舎に使用された神奈川宿
   B 港を守るため、貴重な漁場だった海岸に砲台が設置された神奈川宿
 このような幕末の神奈川宿の歴史を歩くことであった。

 散歩コースは、
   東神奈川駅 〜 金蔵院(宿最古の寺) 〜 成仏寺(宣教師の宿舎) 〜 慶運寺
   (仏領事館) 〜 浄滝寺(英領事館 ・ 遠望) 〜 宗興寺(ヘボンの施療所) 〜
   神奈川台場(砲台)跡  〜 洲崎神社(渡船河岸前) 〜 甚行寺(仏公使館)
   〜 本覚寺(米領事館 ・ 旧神奈川駅跡遠望) 〜 横浜駅西口
 で、当初予定した台町茶屋(料亭:田中家、関門跡など)は割愛した。横浜駅到着は、
 16:00頃だったが、本覚寺で解散宣言したため、最後までガイドと一緒に行った人は
 少数だった。
 この日は真夏で蒸し暑く、歩くには少々苦痛だった。このため本覚寺で歩くことを打ち切り、
 東横線の跡の遊歩道を通って横浜駅に戻った。参加者は、暑いながらも、用事があるため
 途中で抜けた人(5人ほどいた)を除き、全員が歩きぬいた。
 そうはいっても、今回の反省として、この時期に歴史散歩を行うことは好ましくない。
 来年からはこの時期の散歩はやめにしたい。

 もう一つの反省事項として、コースが町中をあるくため騒音でうるさいうえ、担当ガイドの声が
 小さかったため、遠くの人には聞こえにくかったことである。マイクを持参しなかったガイド
 にも責任がある。次回以降は必ずマイクをもっていくようにしたい。
                                            以 上

            〜洲崎神社にて〜



歴史散策の会」記録

≪第50回歴史散策・実施報告≫
 「高田馬場から早稲田界隈を歩く」
 2013年3月23日(土)13時・高田馬場駅出発


 「健康と趣味を兼ねた『歴史散策の会』」は2000年に発足し、本日で足掛け
13年目を迎えて第50回を記録した。思えば随分と長く続いたもんだ。
これも会員の皆様のご参加と応援の賜物。一度の事故も無くよくも無事に済んだものだ
とつくづくと思う。
 今回は最終回との想いもあって母校周辺を計画した。花曇りの中を高田馬場駅を
13時に出発し、史跡高田馬場址、水稲荷、流鏑馬の道、面影橋を遠望して満開の桜を
愛で、さらに馬場下の穴八幡境内で記念写真を撮り、夏目坂から本日の最終ゴールを
一週間前の下見の際に偶々見付けた創業百年の校友の酒屋と決め、伊勢神宮奉納の樽酒
「白鷹」コップ酒をご馳走になって解散とした。       (文責 香川正彦)

◎参加者:笠間裕・夫人 石黒稔・夫人 内田弘治・夫人 大野隆幸・夫人 
     安藤良男・夫人 藤木立夫  鏡原二郎 福田勝義 小林正徳 
     深野宏之 山崎紀一 浅賀達也 三吉正芳 伏島利郎 今井信夫 
     岡安宏真 久保田正 成毛文之 武末洋三 東島正樹 半田邦久 
     川口守男 秋山眞理 佐藤和征 川崎礼子 野坂睿一 千代康
     榎正之 井上忠 濱口紘 香川正彦    計36名(内 同伴5組)





≪第49回歴史散策・実施報告≫
 「江戸北部の防備の街・蔵の野川越の歴史を探る」
 2012年11月24日(土)10時30分・西武新宿線:本川越駅改札口前出発


 出掛ける際にハラハラと雨らしきものが落ちてきたが、川越への道すがらには青空の
穏やかな晴天となり、総勢33名の歴史散策が楽しく出来た。
 江戸北方の護りとしての川越、江戸への物資補給のための城下町の様子を見ながら、
旧川越街道からメインストリートの蔵造りの街並みを歩き、約1時間の昼食時間のために
解散し、各自それぞれ好きな昼食をとった。 食後に再び集合し、後半は大手門址から
城内へと歩き、本丸近くの天神様境内では言伝えのある「とおりゃんせ」の歌を唄い、
喜多院から仙波東照宮を廻って駅前で解散した。
川越市内にはどういう訳かコンビニ等が全く見当たらず、恒例の飲み物は喜多院売店で
ビールと甘酒で乾杯した。また、今回はもっと見学したい人には散策途中から抜けて
自由行動を取って貰った。                          (文責:香川正彦)

 ◎参加者:日高俊典夫妻・東島正樹夫妻・河野邦夫夫妻・高橋精一夫妻・
        大野隆幸夫妻・笠間裕夫妻・福田勝義・川口守男・成毛文之・榎正之・
        今井信夫・安藤良男・井上忠・石黒稔・内田弘治・鏡原二郎・川崎誠・
        伏島利郎・半田邦久・秋山眞理・榎本義子・藤木立夫・小林正徳・
        岡安宏眞・岡部滋・濱口紘・香川正彦         33名(内、同伴6組





≪第48回歴史散策・実施報告≫
 「江戸四宿の一・旧中仙道板橋宿を歩く」
 2012年7月28日(土):13時・地下鉄三田線:板橋本町駅改札口前集合出発


 熱中症のニュースが連日飛交う中、今日も35度を超す猛暑、しかも従来のように各人宛に通知を
出さない中でも、同伴5組を入れて30名もの参加に深い敬意と感謝を捧げたい気持ちです。
 標記のように板橋宿を北から南へ上宿・仲宿・平尾宿と歩く。縁切榎から始り、地名起源の石神井川に
架かる板橋を渡り、本陣・脇本陣跡や江戸初期に創建された寺にも寄って、当時の宿の様子を想像する。
なかなか難しいことだが、回を重ねる中で僅かに残る面影から当時の様子を垣間見ることが出来たのでは
ないだろうか。のんびりのようで実にシンドイ散策でもある。
 それにしても一人の脱落も無く、平尾宿外れの近藤勇墓所前で解散、大変お疲れ様でした。
                                                (文責:香川正彦)

◎参加者: 河野邦夫夫妻 東島正樹夫妻 石黒稔夫妻 笠間裕夫妻 大野隆幸夫妻 
       佐藤靖雄 岡安宏眞 川口守男 伏島利郎 大隈乙郎 榎正之 井上忠
       竹末洋三 安藤良男 日高俊典 藤木立夫 半田邦久 深野宏之 山崎紀一
       久保田正 福田義朗 山田信介 濱口紘 舘野美穂 香川正彦
                                      計30名
(内同伴:5組)




≪第47回歴史散策・実施報告≫
 「小田原北条時代の惣構えの城の周辺散策」
  −2012年2月25日(土):午前12時・小田原駅集合出発−

 今朝迄は小田原方面は一日中雨、しかも昼頃は強雨との予報ゆえに集まりが悪いかなと心痛めていたが、何て付いていることか出発頃には薄日も射すような空模様、総勢46名で元気良く出発。
 本丸には入らず、背後の八幡山古郭から現天守を眺め、次に小田原高校敷地の旧本丸へ向い、さらには本日のメイン見学地の小峰大堀切を歩く。日本各地の堀切多しと云えどもここは日本一、二の大堀切。その堀切の中を歩くことで参加者に強いインパクトを与えたものと思う。次いで雨の心配はすっかり無くなったので予定通り小峰から一気に早川口跡へと歩く。
 小休止の後、旧東海道に出て恒例のビールとお茶をコンビニで飲み、お茶組には名物のアンパンをサービス。その後は箱根口跡から三の丸へ、銅門から馬出門を通り、駅前の北条氏政・氏照自刃の遺跡に参って3時半に解散、お疲れ様。
                            (文責:香川正彦)





≪第46回・歴史散策:実施報告≫
    《護国寺に我等が大隈重信侯の墓所を訪ねて》

 2011年9月24日(土)13時、第46回歴史散策を護国寺から開始した。
 先ずは校友高原孝氏のご厚意で、大隈重信侯の墓所の鍵を学校から借りて戴き、私たちは初めて老侯の墓所内に入れて戴き、今井元会長さんを先頭に榊を捧げて参拝した。また、護国寺本堂入堂も許可され、お寺の方の語り慣れた面白いお話をお伺い出来た。高原氏に心からの感謝を申上げたい。
 さらに、護国寺には校友の故渡辺忠廣氏のお墓もあり一同でお参りした。先輩は以前、横浜近辺の散策などにご一緒された元歴史散策会員でもあった。その他、三条実美、山縣有朋、田中光顕など明治元勲の墓もある。序で境内で「江戸市中の範囲」ということで、江戸古地図を使い当時の護国寺近辺や雑司が谷界隈にも触れ、当時は江戸近郊ということで信仰や行楽の地であったことに触れた。次の散策地は江戸時代の鷹狩りの地であった雑司が谷で、維新後には霊園となり、豊島区の管轄で実に多くの墓地が造成されている。著名人も多く眠っており、流行の「墓マイラー」よろしく散策・参拝しあT。中浜万次郎、夏目漱石、竹久夢二、サトウ・ハチロー、東条英機の墓などの他、早稲田大学に関係する島村抱月、安部磯雄、東儀鉄笛氏などの墓を参った。
 序で、江戸近郊の信仰の地であった雑司が谷鬼子母神堂へ。「江戸名所図会」を見ると、参道には多くの料理屋などが立ち並ぶ繁華の様子が伺える地であった。今も見られるのがお堂の「鬼」字に角が無いこと、境内には山岡鉄舟の字を刻んだ石碑などがあり、又、ケヤキ並木通りの途中には、昔懐かしい「すすきみみづく」を売る案内所がある。今なお信仰に生きる町であることがお堂の様子からも伺えた。
 かくして総勢49名の散策は、3時半過ぎ頃に都電荒川線鬼子母神駅で無事に解散となり、4時過ぎの早稲田大学代議員会に出る諸氏は早稲田方面へ、それ以外は大塚方面行きのホームへと別れていった。気温25度程の心地よいお天気の半日でした。お疲れ様です。
                           (香川正彦 文責)

◎参加者:笠間裕夫妻 河野邦夫夫妻 日高俊典夫妻 山藤卓夫妻 浅賀達也
   千代康 今井信夫 内田弘治 榎正之 大久保尚節 岡部滋 岡安宏真
   加藤博武 原信義 川口守男 菊地一郎 久保田正 小林正徳 須川弘之
   関裕司 武末洋三 田沢隆夫 遠井信久 飛永信雄 成毛文之 深野宏之
   福持日出夫 藤木立夫 伏島利郎 古江恭雄 三吉正芳 山田信介 
   花井正徳 石倉大市郎 高原孝 安藤良男 佐藤和征 小松久径 
   長谷川克年 山本壽枝 横山順子 若林和茂 濱口紘 舘野美穂 香川正彦
                        計49名(内同伴:4組)




《第45回歴史散策・「千住宿を歩く」実施報告》
          2011年5月28日(土):13時出発
 本日の予報は雨、夕方から本降りになるだろうとのこと。しかも梅雨入りが宣言されたのが昨日、どうなることかと心配したが、「お客様は神様です」の言いではないが、雨の中を28人もの神様がご参加下さり、世話人笠間代表以下、大変な喜びです。
 南千住駅集合で、江戸時代の仕置場と処刑された有名人のお墓がある南千住回向院をお参りした。また、境内にある『解体新書』(ターヘルアナトミア)で知られる日本医学の近代化に大きな役割を果した杉田玄白と前野良沢を記念した記念碑を見学した。
 次いで当初南千住を歩く予定を変更し、急ぎ電車で北千住へ向い、千住宿を歩くことにした。先ずは北千住駅前の地図を見ながら宿場の機能を説明し、道を北にとって接骨医で知られる名倉(堂)医院方面へ歩いて史跡の長屋門を見て、荒川土手に登った。名倉医院は土曜ということで門は閉じられていたが、さすが歴史を感じさせる風格があり、一同で記念写真に収めた。
再び宿場通りを戻り、名物「槍かけ団子」を食べ、恒例のお茶と缶ビールを飲み、千住2丁目の脇道に、青年鴎外が開業医の父と共に住いした跡と宿場に必ず存在する遊女の供養墓を訪ねて金蔵寺をお参りし、本日の散策を打切った。約2時間の行程だった。天気が良ければ「やっちゃ場」方面へ行きたかったが、話しだけで済ませた。28人の神様・お客様・会員様、本日は本当に有難うございました。お疲れ様でした。
                               (香川正彦記)

 参加者:笠間裕夫妻・河野邦夫夫妻・高橋精一夫妻・日高俊典夫妻・浅賀達也・
  安藤良男・石倉大市郎・井上忠・榎正之・大久保尚節・菊地一郎・窪田久乃・
  久保田正・小林正徳・小松久径・佐藤和征・澤大洋・武末洋三・福田義朗・
  藤木立夫・森本信之・山田信介・山本壽枝・山本治彦・若林和茂・濱口紘・
  舘野美穂・香川正彦          計32名(内同伴4組)




《第44回歴史散策・「江戸最古の七福神巡り」実施報告》
              2011年1月8日(土):10時出発
 パソコンクラブのご好意で実施することが出来たことを感謝します。
朝の田端駅北口の風は冷たく身体に応えたが、歩くにつれて日差しが暖かくなり実に絶好の散策日和、同伴10組を含めて64名の参加。ほぼ定刻に歩き始めて田端・日暮里・谷中・上野と歩みも順調。大正期の文士村北区田端の東覚寺(福禄寿)から始った七福神巡りは荒川区の西日暮里道灌山麓の青雲寺(恵比寿)、修性院(布袋尊)を巡り、次いで台東区へ入って谷中の天王寺(毘沙門天)、長安寺(寿老人)へ参り、上野公園の護国院(大黒天)から最終地寛永寺弁天堂(弁財天)へ。土曜日故に団体さんが多い。皆さんの足取りは軽く、予定より早く弁天堂に着き13時半頃に解散となる。
江戸中期頃に貨幣経済の発達で富裕商人が多く生まれ、豊かさから金に飽かした所謂文化人、趣味人、道楽人が生まれて、多種多様な文化が見られた。このような中で七福神巡りも発生したのであろう。その最も古い七福神巡りが谷中七福神であり、巡る寺社は時代で変ったが庶民たちにも広がり、現世ご利益という信仰と歩くという健康を兼ねて流行った。現在の我々もそれにあやかってか、いろいろな地区で七福神を造って流行っている状況が見えるのである。
                              (香川正彦記)

 参加者:高橋精一夫妻・浅賀達也夫妻・坂本確夫妻・佐々木新八夫妻・石黒稔夫妻・
  河野邦夫夫妻・笠間裕夫妻・日高俊典夫妻・小松久径夫妻・菊地一郎夫妻・
  松島和夫・佐藤和征・原信義・成毛文之・千代康・新荘多美子・山崎紀一・
  岡部滋・川崎礼子・窪田久乃・久保田正・田中とき子・田島教雄・岡安宏真・
  野中宣義・横山順子・小幡実・間下昌彦・若林和茂・伏島利郎・大久保尚節・
  山本壽枝・内田弘治・小林正徳・榎正之・川口守男・安藤良男・春原興治・
  福田義朗・山田信介・榎本義子・矢島健生・石倉大市郎・飛永信雄・大濱隆成・
  藤木立夫・土屋恭子・今井信夫・秋山真理・柴田親宏・吉岡佳子・長谷川克年・
  濱口紘・香川正彦       計64名(内同伴10組)




《第43回歴史散策・「両国から蔵前・浅草界隈を大川筋に沿って歩き
         歴史を探る」実施報告》」2010年11月27日(土):13時出発

 爽やかな晩秋の中、今回も57名と云う多数の参加があって歴史散策を実施した。
 9組の仲の良いご同伴もあって賑った。今回の散策テーマは「蔵前の名を残す蔵前札差商人の昔の繁栄ぶりを頭に描きながら歩く」。大川筋に沿って「百本杭」、川の水を引きこんだ「本庄松平家の旧安田庭園」、関東大震災で多くの方が亡くなった「被服廠跡の震災祈念堂」から明暦の大火後、新しい江戸都市計画に「本所築地奉行で活躍した石原町の徳山五兵衛屋敷跡と孫の火盗改め長官が逮捕処刑した日本左衛門首洗い井戸跡?」を訪ね、蔵前橋を渡って「蔵前御米蔵跡」へ行く。
 徳川家臣の旗本・御家人らの生活を支える米の支給が行われた「御米蔵」は今でこそ無いが、徳川支配の根幹を支える米経済を考えるに相応しい遺跡であり、この制度があってこそ蔵前札差商人の繁栄があったことを考える場所でもある。そしてまた、そこは今は懐かしい蔵前国技館のあった場所であり、現両国国技館と併せて偲ぶに相応しい。 馬道・国際通りに別れる道を横断して「松平西福寺」を訪ねる。門に大きな葵の御紋のついた珍しいお寺で、家康側室に関係のご縁があるお寺。境内の勝川春章墓、彰義隊を祀る石塔を見学する。ここで一部の人が行方不明になっていることを発見、連絡を取りながら小休止。間もなく一緒になり次の見学地の「柄井川柳墓の龍宝寺」へ。次いで江戸大相撲の発祥に関係する「蔵前神社」へ。昔は広大な境内を持ち「晴天十日間」の勧進相撲が行われた場所であり、その後は回向院・深川八幡などの境内でも盛んに勧進相撲が行われたことである。本日のお茶とビールの一杯を境内前で済ませる。次いで「榧寺の狂歌師宿屋飯盛墓」、佐倉藩主堀田氏の時に佐倉惣五郎こと木内宗吾の江戸直訴の結果、見事に農民の貧苦を救った惣五郎の霊を祀った「宗吾殿」を訪ねる。歌舞伎などで知られる宗吾殿は堀田家屋敷跡にあり、江戸絵図にも載っている。その後、正体不明?の「黒船神社」に参り、「子が戯れる狛犬二対」を見る。実に見事な狛犬で、知る人ぞ知る横浜鶴見在の石工飯嶋吉六の作である。何故ここにあるかは不明。最後は「駒形どぜう」店を見ながら「駒形堂」で解散とする。時刻はほぼ4時を指していた。正味3時間近くの散策を無事に終了。皆さん、お疲れ様でした。
                              (香川正彦記)

 参加者:今井信夫夫妻・笠間裕夫妻・河野邦夫夫妻・小松久径夫妻・坂本確夫妻・
  山藤卓夫妻・春原興治夫妻・高橋精一夫妻・山田信介夫妻・青木正・浅賀達也・
  内田弘治・榎正之・大久保尚節・岡安宏真・小幡実・大須賀三雄・加藤博武・
  川口守男・菊地一郎・窪田久乃・久保田正・小林正憲・佐藤和征・新荘多美子・
  須川弘之・千代康・武末洋三・田沢隆夫・岡部滋・田中とき子・川崎礼子・
  藤木立夫・長谷川克年・原信義・花井正徳・伏島利郎・古江恭雄・若林和茂・
  間下昌彦・井上忠・土屋恭子・松島正夫・成毛文之・石川孝一郎・濱口紘・
  舘野美穂・香川正彦   計57名(内同伴9組) 





《第42回歴史散策・「開港・維新頃の横浜海岸線を探る」実施報告》」
              2010年7月24日():13時出発
 連日35度を超える猛暑日が続く中で、本日は33度との予報。でも周囲の状況で35度を優に越える暑さになるだろう。なによりも熱中症が心配。三代目現横浜駅東口集合出発で万里橋・二代目横浜駅(現高島町)と歩き、当時の海岸線沿いに横浜道へ出る。岩亀横丁から掃部山下の崖下道を歩き、当時の波の音を聞く(当然に波の音は無く、あるのは車の走る音のみ)。益々暑さは増してくる。アスファルトからの照返しが強い。紅葉坂から本町小学校前を通り、野毛坂から都橋へ、さらに当時の吉田新田堤沿い(野毛坂の延長線沿い)に吉田橋(鉄の橋)まで歩く。ここで流石に暑さに参った参加者が出たので無理をせず、以後は自由参加という形で象の鼻波止場まで歩く。
 本日散策の狙いの一つは、横浜稲門会名誉会長藤木幸夫氏のご努力で、港湾労働者の多くの犠牲の上に今日のミナト横浜があることを位置付けた「横浜港湾労働者慰霊供養碑」の前で記念写真を撮ることにあった。
途中リタイアされた方もあったが、37名の方が写真に納まって下さったことをもって成功としたい。
 本当に猛暑の中、多数ご参加下さり世話人一同心より御礼申上げます。    (香川正彦記)

 参加者:安藤良男夫妻・大隅乙郎夫妻・笠間裕夫妻・山藤卓夫妻・浅賀達也・井上忠・石田薫・
      石倉大市郎・岩崎藤一・大久保尚節・大須賀三雄・川口守男・菊地一郎・川崎礼子・
      間下昌彦・久保田正・窪田久乃・河野節子・坂本確・佐藤和征・佐藤靖雄・松野茂・
      清水国雄・須川弘之・鈴木一郎・春原興治・武末洋三・田島教雄・中嶋俊明・成毛文之・
      長谷川克年・原信義・日高俊典・福田義朗・藤木立夫・伏島利郎・古江恭雄・安井緑・
      山崎紀一・山田信介・横山順子・若林和茂・石川孝一郎・舘野美穂・浜口紘・香川正彦
                                           計50名(内同伴4組)



いつも歴史散策ご参加を感謝します(世話人一同)



《「第41回散策・『おばあちゃんの原宿・巣鴨を訪ねて』実施報告」
             2010年5月29日():13時出発
 本日は午後から雨との予報で心配だったが、結果は曇り。
 今回の散策地の巣鴨・染井・駒込は江戸の郊外で、1590年の徳川家康の関東入り・1603年幕府開幕以後は、新しい政治の中心となった江戸の新都市計画の中で大きく地域変貌を遂げた。 先ずは中山道筋の江戸六地蔵の一つが鎮座する真性寺参詣から散策を始めた。次いで明治7年に元大名屋敷跡に開設された
染井墓地を訪れ、大隈重信総理の下で文相を勤め、早稲田大学総長も歴任された我らの高田早苗夫妻の墓所に参り、我が散策の会を代表して佐藤会長・今井元会長が花を捧げ手を合わせた。
 その後は、今流行りの「墓マイラー」と洒落て、隣りの慈眼寺墓地に芥川龍之介・司馬江漢の墓を訪ね、次に10万人もの死者を出し、江戸の大半を焼き尽した「明暦の大火(振袖火事)」の火元?の本妙寺に参り、その供養碑を始めテレビや映画でお馴染みの遠山金四郎景元・幕末の剣豪千葉周作・将軍家に仕えた囲碁の家・本因坊一族の墓等をお参りした。さらに少し歩いて都電荒川線の踏切を越えて元四谷にあった妙行寺に四谷怪談の主人公お岩さんの墓参りをした。隣りには忠臣蔵の浅野内匠頭長矩奥方遥泉院の墓もある。これらの寺は明治に市中から郊外へと、東京の新都市造りの中での墓ぐるみの移転であった。
  このあとは、巣鴨地蔵商店街を歩き、缶ビールとお茶、お茶組は名物塩大福をおまけして本日の疲れを癒し解散とした。本日は土曜なのに何時もはごった返すのに、閑散としていた。雨予報で出足が鈍ったか・・・。 1時出発して4時少し前の解散、ほぼ3時間の散策は無事に終了した。
有難うございました。お疲れ様でした。   (文責・香川正彦)

○参加者・今井信夫夫妻・大隅乙郎夫妻・笠間裕夫妻・河野邦夫夫妻・
     坂本確夫妻・安藤正子・石倉大市郎・石黒弘子・井上忠・
     榎本義子・大久保尚節・大須賀三雄・大濱隆成・加藤博武・
     川口守男・川崎礼子・菊地一郎・窪田久乃・久保田正・小林正徳・
     佐藤和征・佐藤靖雄・清水国雄・新荘多美子・千代康・高橋精一・
     武末洋三・田中とき子・中嶋俊明・長谷川克年・日高俊典・
     福田義朗・藤江秀一・藤木立夫・古江恭雄・安井緑・山田信介・
     山本壽枝・横山順子・石川孝一郎・舘野美穂・浜口紘・香川正彦
                       以上48名(内同伴5組)



《散策の会:第40回『鎌倉を歩く』
  テーマ「平和都市宣言の鎌倉に中世鎌倉の歴史を探る」》

         2010年1月23日():13時出発


「晴天されど気温は厳しい」との予報を裏切って幸いにも気温13度ちかくで、お日様も実に明るく照ってくれた。散策には絶好の日和の中、なんと総勢68名の参加があった。 鶴岡八幡宮から雪ノ下の法華堂、そして、戻ってきて恒例のビールとお茶で咽喉を潤した後、さらに歩いて執権屋敷跡の宝戒寺、執権北条氏最期の地の東勝寺跡、次いで比企一族全滅の比企ヶ谷の妙本寺を廻り、現在平和・観光都市を宣言している鎌倉が中世には源氏・北条氏を中心に諸御家人たちが血みどろな権力争いで、実に多くの血が流され結局は北条氏の権力把握、しかし、やがて次の権力者に奪われて行くたことを話しながら今回の巡検を終えた。
                           
(文責:香川)

参加者氏名:
三吉正芳夫妻・坂本確夫妻・安藤良男夫妻・石黒稔夫妻・笠間裕夫妻・河野邦夫夫妻・

清水晃夫妻・山藤卓夫妻・菊池一郎夫妻・高橋郁夫夫妻・高橋精一夫妻・大須賀三雄・
栗山威郎・佐藤靖雄・春原興治・浅賀達也・岡安宏真・大久保尚節・井上忠・成毛文之・
福田楠治・間下昌彦・田中とき子・原信義・澤大洋・大隅乙郎・久保田正・山崎紀一・
田沢隆夫・山本壽枝・井川ミサ子・日高俊典・榎正之・岩崎藤一・伏島利郎・石倉大市郎・
柴田親宏・古江恭雄・新荘多美子・藤木立夫・横山順子・内田弘治・大西正典・野中宣義・
深野宏之・窪田久乃・榎本義子・千代康・今井信夫・石田薫・若林和茂・中嶋俊明・
遠井信久・石川孝一郎・舘野美穂・浜口紘・香川正彦       68名(内同伴11組)



 《横浜校友会:歴史散策の会・第39回実施報告・2009年9月26日(土)13時〜》
     −「吉村昭著・『桜田門外の変』の現場を歩く」−


 私が晴れ男のために今回も日中の陽射しは強く、その下を皇居前広場から桜田門へ、井伊大老邸から警視庁へのコースを約2時間を掛けて歩き、万延元年(1860年)3月3日午前10時少し前、雪の積った屋敷を出た行列が間もなく桜田門へ差掛かる時を狙って、水戸16名・薩摩1名の浪士17名が井伊大老を襲撃した現場を説明しながら当時の状況のイメージを図ったが、果たしてどの程度のご理解を得られたか? それはあくまでも解説者の力量にかかるだろう。皆さん、暑い中をお疲れ様でした。    (文責:香川)

◎参加者:坂本確夫妻 笠間裕夫妻 石黒稔夫妻 高橋精一夫妻 青木正夫妻 三吉正芳夫妻 杉本匡 長谷川克年 大須賀三雄 栗山威郎 中嶋俊明 今井信夫 春原興治 安藤正子 安井緑 浅賀達也 岡安宏真 原信義 大久保尚節 川崎礼子 織茂芳三 井上忠 成毛文之 小林正徳 千代康 久保田正 福田義朗 山崎紀一 川口守男 深野宏之 野中宣義 山藤卓 佐藤和征 山本壽枝 長島正枝 榎本義子 新荘多美子 横山順子 加藤博武 鈴木一彦 日高俊典 吉岡佳子 岩崎藤一 伏島利郎 武末洋三 石倉大市郎 古江恭雄 山田信介 藤木立夫 内田弘治 石川孝一郎 舘野美穂 浜口紘 香川正彦     60名(内同伴6組) 


《第38回歴史散策の会:『日本橋川に沿って歩く』・実施報告・2009年7月25日(土)》
 
 「一日中曇り空の蒸暑い天気でしょう。所によっては晴れ間も見られるでしょう」という予報だったが、朝から太陽の陽射しが強く蒸暑い。余程気を入れて歩かないと熱中症に成り兼ねない状況の中、総勢50名は東京駅八重洲口を13時5分に出発。今回のテーマは「徳川家康の江戸町造り計画」。江戸北町奉行所跡、橋のない呉服橋、そして常磐橋御門跡から一石橋、日本橋・魚河岸跡と日本橋川 沿いに歩く。参加者は早くも疲れ気味の様子が見られる。問題はどの辺で恒例の缶ビール・お茶の差入れをするか? 江戸橋を渡り日本郵便発祥の地の近くで一休みで咽喉を潤す。少し元気の出たところで兜町から茅場町へと歩き、霊岸橋から亀島川を眺めて霊岸島の埋立ての話、橋を渡らず川沿いに亀島橋方面へ歩き、八丁堀の話をして3時半?頃に、この後に廻る予定だった越前堀先の於岩田宮神社をカットして東京駅へと向う。いやー、実に蒸暑い大変な散策でした。お疲れ様でした! 有り難うございました。       (香川正彦 文責)

  ◎参加者:河野邦夫夫妻・大隅乙郎夫妻・杉本匡夫妻・安藤良男夫妻・石倉大市郎/友人・若林和茂・ 山田信介・大須賀三雄・石黒稔・栗山威郎・君和田久夫・中嶋俊明・坂本確・大久保尚節・ 千代康・川崎礼子・成毛文之・小林正徳・窪田久乃・久保田正・福田義朗・田沢隆夫・佐藤和征・山本壽枝・井川ミサ子・鈴木一彦・山藤卓・日高俊典・伏島利郎・柴田親宏・ 武末洋三・遠井信久・藤木立夫・長谷川克年・新荘多美子・清水国雄・横山順子・内田弘治・ 井上忠・長島正枝・笠間裕・石川孝一郎・舘野美穂・浜口紘・香川正彦  50名(同伴5組)
 


横浜・戸塚宿を訪ねて(2009年4月18日)


小伝馬・人形町・柳橋界隈を歩く(2009年2月21日)




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